目次
○介護百人一首より
○やさしい眼差しで 研修に参加して
○親の気持ち子の気持ち
○相互交流に参加して
○キンセン
○レオナ家族の一員
○研修会に参加して
○私達ができること 研修会に参加して
○カラオケボックスでの誕生会
○きまぐれ散歩
○手づくり結婚式に感動
○お墓参り
介護百人一首より
ありがとと 何べん言えど なお足りぬ グチひとつ無き妻の介護は
夫が問う あなたの家はどこですか 私の家はここしかないの
ありがとう もう帰れよと別れたる母は 小さくなるまで手を振る
車椅子 押してわかった 人間の体の重さ 心の重さ
いらつきて 時にはケンカ にらめっこ 思わず笑う 老老介護
いつの日か 逆の立場になった時 してほしい事を 今してあげる
こわれても わからなくても いつまでも あなたはやはり 私のお母さん
上に戻る
やさしい眼差しで 研修に参加して
講師の言葉「笑顔にまさる介護はない」
「優しい目と優しい手で」
介護の仕事をしていると「大変だろ」「すごいね」と
言われることがありますが 私はそうは思いません。
何も特別な事ではないと考えます。
まだまだ勉強することは山ほどあるけど
笑顔にまさる介護はない!!
難しく考えず 優しい目と優しい手で
これからも皆さんと関わっていきたいと思います。
Aさんのつぶやき
「生ききれず 死にきれず よわらいな」
口癖の方がいます。
その懸命な姿に生きる強さを教えてもらっています。
Bさんのつぶやき
「くれくれいうのは いやしんぼ。やらんというのは よくしんぼ」
「さみしい さみしい」といいながらも「よいしょ よいしょ」
と掛け声をつけて 歩いています。
思わず背中をさすりたくなります。
Cさんのつぶやき
「〇〇さん 起きなあよ 朝で〜」
「もう少し寝かせてよ。夜勤明けなんじゃきん。」
「いつから夜勤にはいったんな?」
いつの間にやら スタッフのセリフを覚えた入所者に
やり返されていました。
上に戻る
親の気持ち子の気持ち
「親っちゃ ええもんじゃな」
息子さんが帰られてから Kさんが言いました。
とても穏やかな顔でした。
息子さんの元気な顔が見れて安心したのでしょうか。
息子さんと話ができて うれしかったのでしょうか。
とにかく その時のKさんは幸せな気持ちだったのだと
思います。
(たぶん)いろんな苦労を乗り越えて
「親っちゃ ええもんじゃな」と言えるKさんは素晴らしい。
Kさんに「親っちゃ ええもんじゃな」と言わせた息子さんは
素晴らしい。
私は親としても 子としても経験が浅く
他の人の親子関係をあれこれ言える立場ではありません。
でも そこには必ず愛があると思います。
上に戻る
相互交流に参加して
相互交流とは、グループホームの職員同士が、相互に相手のホーム
を訪問し、施設見学やケアの取り組みを勉強し合うという研修です。
日頃の、なかなか気付かないケアや環境などの、「新たな気づきの場」
として役立っています。
普段、他ホームとの交流の場が少ないので、事業者間の
コミュニケーションの一環としても活用しています。
今回 相互交流に参加することになり
9月10日 新居浜「とらや」グループホームに行きました。
街中にありながら 外観は昔ながらの懐かしい感じのする木造家屋
でした。聞いてみると 50年続いた「とらや旅館」を改修して
使用しているということでした。
入ると 昔の建物なので少し暗い感じを受けますが またそれが
”ほっ”とできる雰囲気もあり 心なごみました。
ウッドデッキがありソファを並べて置き、くつろげる場所になって
いました。
「こないだから メダカ飼いはじめたんよ。」
「水替えは どれくらいでしよん?」
「週に1回よ」
話してくれるお年寄りの表情はとても嬉しそうでした。
また 時々 職員が犬を連れてきて
ウッドデッキにつないでいくという話もしてくれました。
当日も犬が軒先にいました。
犬を見て「暑げな。もっと陰にいれてやらな。」
「扇風機の風 あててやろう思うて回したけど あたってないな。」
と優しく見守っていました。
「とらや」の居間からは小さな畑が見えました。
ミニトマト、きゅうり、ナス たくさんの野菜が並んでいました。
「昨日の朝とれた ナス 見て」と言って
立派なナスを見せてくれました。
目の前で成長する草花、野菜を見るのは楽しいと思います。
その影響で 私も最近「ほうれん草」の種を蒔きました。
それから ストロベリーキャンドルという花も植えました。
どちらも沢山の芽が出てきています。
楽しみに育てていこうと思います。
よろこび
花がひとつ咲いただけでも「咲いたよ」と喜んでくれる。
そう教えてくれると こちらもうれしい。
「今日はひとつ」「今日はふたつ」と毎日報告してくれるので
花でも野菜でも 喜んで見てくれるのなら これからもっと
気をつけて花や野菜を一緒に育てたい、そう思います。
一言で介護と言え 身のまわりの事、トイレ介助など
それだけでなく こころ(感情)のケアも大切なんだと
改めて感じました。
「楽しい」「きれい」「かわいそう」「おいしい」
「好き」「嫌い」「うれしい」「かなしい」
すべてが素直な感情で気持ちであり
人としてとても大切なことだと思います。
人を傷つけるようなことは もちろん駄目ですが
たとえば 物の好き嫌いは誰にでもあることです。
基準は人それぞれで それが個性なのではないでしょうか。
自分らしく 素の自分でいられる事は必要と思いました。
相互交流研修を終え 多くのことを学び感じることができました。
「とらや」さん ありがとうございました。
上に戻る
キンセン
「キンセンに触れたのよ」
とおばあちゃんは繰り返す
「キンセンって何よ」と私はきく
おばあちゃんは答えない
じゃなくて答えられない ぼけてるから
じゃなくて認知症だから
辞書ひいてみた 金銭じゃなくて琴線だった
心の琴が鳴ったんだ 共鳴したんだ
いつ? どこで? 何が 誰が触れたの?
おばあちゃんは夢見るようにほほえむだけ
ひとりでご飯が食べられなくなっても
ここがどこか分からなくなっても
自分の名前を忘れてしまっても
おばあちゃんの心は健在
私には見えないところで
いろんな人たちに会っている
きれいな景色を見ている
思い出の中の音楽を聴いている
詩人 谷川俊太郎「キンセン」
上に戻る
レオナ家族の一員
1人1人の生活の場を大切にするためには
家族であっても 守らないといけない事が沢山あります。
生活の場の中で たとえ家族であっても 言葉の行き違いで
争い事があります。
ホームでは 他人同士が共に暮らし家族になっています。
他人同士と言っても みんな家族以上に仲がよいと思います。
だけど 中には「暴力行為や 言葉の暴力」があります。
その場を見聞きした職員が どう対処すべきか立ち止まって考えます。
見て見ないフリをするか
「そんな事したらいかんのよ〜」と言葉でサラリと流すか
説明をしながら注意するか
高齢者だから やさしく言うか
認知症だから 訳がわからないと思って注意しないのか
私は違います。
認知症の方でも 善悪が認識できる人もいます。
この場合 長い付き合いの中で 分かってくる事もあります。
【自分だけ見てほしいから 他人に対して冷たくあたる】場合
【この人は何をしても職員に言いつける心配はない】と思い
相手を見て意地悪をされる場合
きれいごとでは 明るく笑顔のある生活は望めません。
私はその場で 家族の方が居ても注意をします。
数分たてば 本人は忘れてしまいます。
時間たてば なんで注意されているか分からなくなるからです。
大きな声で注意しますから 事情の分からない方が
傍で聞いていたら あっと思うかもしれません。
注意するからといって その方は悪人ではありません。
職員のお手伝をしたり、他者の面倒を見てくれたり
やさしく声をかけてくれたりします。
本当は 私自身も大好きな婆ちゃんなのです。
これを読み 一番わかってくれる相手は
そのお婆ちゃんだと思います。
本当の親子のように言い合えることは大事だと思うし
やさしいだけの介護では 気付く事も少ないと思います。
分かってもらえる人には どんどん対立することも必要だと
私は思います。
思いやりの心 いたわりの心
生活の中で感情を表情とか肌で感じます。
言葉で理解できない方には 私の顔の表情で(怒っている)
(笑っている)(泣いている)と判断してもらえるように
常にちょっとのことでも(笑ったり 泣き顔をしたり
ちょっと怒ってみたり)表情を変えて分かってもらえるように
しています。
家族のようにお互いに支えあって暮らしていても
他人同士の生活の場です。
言いたい放題 したい放題を 見てみぬふりをするのは
何も言えない人の事を考え 私達職員が 見て聞いて
その場の注意をし 相手をかばいあう気持ちも
大事ではないでしょうか。
何も言えない方は いつも我慢して生活をしていく事になりますから。
悪いことに対して「そんなことはしてはいけない」
よい所は おおげさに褒めてあげる
うれしい時は 一緒に笑って
さみしい時は 一緒に時間を持ち 励ましあう
注意される側も 落ち着きをもって 共にじっくりと話し合うと
いつもわかってくれます。
「ほうよなー。」
「あなんこと言うたらいかんな」
「よう あんた言うてくれたな」
認知症の方でも 分かるように話し合えば わかってくれます。
こんなこともあり お互いに信頼関係が深まるのでは
ないでしょうか?
時には「あんたと話したこと忘れんように 書いとこわい」
と自らペンを取り 自分の反省すべき事を書き 私に見せてくれます。
その時の顔は実に晴れ晴れとした よい笑顔を見せてくれます。
私もうれしく 2人で泣き笑いしたこともあります。
でも 又 次の日は昨日と違い いつものように意地悪もします。
忘れているのです。
でもそれでいいのだと思います。
さみしい時は 誰かが傍にいてくれる
楽しい時は一緒に笑ってくれる
言いたくても言えないではなく 時にはクチゲンカしたり
お互い言いたい事を話し合い その空気の中で
お爺ちゃんお婆ちゃんと 生活を共にしていきたいと思います。
認知症だから 老人だからではなく
人間として対等に付き合い 向き合っていきたいと思います。
上に戻る
研修会に参加して
入所者への接し方や 言葉掛けに自信がなくなり悩んでいた時に
ちょうど研修に参加する機会がありました。
一番心に残っているのが「そのままでいい。」と
「手を差し伸べてあげる」という事です。
脳が壊れてしまい 認知症という病気になり
自分でも分からなくなり 辛い思いをしている方に
そっと手を差し伸べる。何気に手を貸してあげるということを
忘れてしまっていたような気がします。
「認知症とは何か?」と聞かれ
つい【せん妄】だの【昼夜逆転】だのと
言葉でまとめてしまいますが、
根本的なことを分かっているようで
分かっていない専門職が多いと聞きました。
確かに 私もあいまいな所しか分かっていなかったように思います。
脳が壊れてしまっているから
出来なくて 分からなくて当たり前という事が
常に頭にあれば 少々のことなら悩まずに済むし
これからも自信を持って入所者と接していけそうな気がします。
自分を見直すきっかけになる研修でした。
上に戻る
私達ができること 研修会に参加して
●「あなたはどんな老後をおくりたいですか?」と問いかけがあり
◎「自分の事は 自分でやりたい」と思いました。
●「今 あなたが関わっているお年寄りも
あなたと同じ考えをもっていたはずです。
ただ 脳の病気のために 正しく理解すること 行動することが
出来なくなってしまっただけです。
徘徊、暴力など どんな場面においても
それを問題行動だと考えるのは 介護する側の考えであり
その方にとっては理由がある行動であること
私達は その理由を見つける力をつける必要がある。
認知症は 誰にでもなり得る病気であり それがいつ起こるかは
誰もわからないという事を忘れてはいけない。
だからこそ認知症になっても 大丈夫、心配はいらない
という環境を作っていかなくてはいけない。」
◎「私が認知症になった時、私が、家族が、困らない社会
であることを望みますが
じゃあ何をしたらいいのか と戸惑っています。
今の私として「〇〇さんが今して欲しい事、考えている事
お手伝いできる事」を見つけていこうと思いました。
上に戻る
カラオケボックスでの誕生会
天候の悪い日でしたが
〇〇さんの誕生日という特別な日だったのであえて外出しました。
「カラオケボックスやら 来たことない〜」と言いながらも
皆 とても喜んでくれ 思い思いの歌をうたい
大きな声を出して 日頃のストレスを発散しました。
〇〇さんの誕生日祝いの 手づくりケーキを持ち込み
お祝いをしました。
泣いて喜んでくれて とてもうれしかったです。
その人が喜んでくれる方法で お祝いする提案を
これからも考えていきたいです。
上に戻る
きまぐれ散歩
朝からとても天気がよく「どっか行きたいなあ」の声に
始まり広瀬公園に出かけました。公園近くのスーパーで
お弁当とお茶を買い 広場でみんなで食べました。
「気持ちええなあ」
「外で食べるとおいしんなあ」
喜びの声が聞けてうれしかったです。
最近 食欲が落ちてきた人も お弁当を半分も食べてくれました。
外で食べる ご飯の美味しさは格別です。
太陽の恵みと 自然のあたたかさを実感します。
上に戻る
手づくり結婚式に感動
平成20年 12月 16日
グループホームレオナにて 本格的な結婚式を挙げて
もらいました。ありがとうございます。
スタッフの皆様に 会場設営、着付け、司会、料理、演出
神父さんなど 全てして頂いたこと 一生忘れません。
本当に心温まる結婚披露宴でした。
モリモリ食べて バリバリと働いて 陽気にさわぐ
スタッフさんの輪に入れて うれしいです。
これからも よろしくお願いします。
上に戻る
お墓参り
皆で友人のお墓参りに行きました。その帰り道。
墓地の片隅に プラスチックで作った囲いに
鎖がかけられている所がありました。
〇〇さんが 立ち止まりました。
「ここは戦友の墓じゃきに よってくれるな。
ここ 戦友が寝よるとこじゃ。
戦争で死んだ 金生、上分の人は皆 ここにおるんじゃ。
義理の兄弟もおるきに。
昔は周りに 鉄柵しとったんじゃけど 戦争の時に
鉄不足で 持っていって鉄砲の弾にしたんで。」
一礼して手を合わせ 深々と長いこと手を合わして
黙祷していました。
「おおきに」
とても満足され 優しい表情をしていました。
戦争は遠い昔のことではないと感じました。
上に戻る
|